大正4年11月10日、本校の校歌と校章が制定されました。
作詞の千家尊福(せんげたかとみ)は、出雲大社宮司を務めた男爵であると共に、東京府知事、第七代埼玉県知事、司法大臣を歴任した人物でもありました。
作曲の田村虎蔵は、したしみやすい言文一致歌唱を提唱し,納所(のうしょ)弁次郎らと「幼年唱歌」「尋常小学唱歌」などを編集しました。「うらしまたろう」「キンタロウ」「はなさかじじい」などを作曲した自分でもあります。
詩の中の「みはし」とは、京都御所の正面の階段のことで、「桜たちばな」とは、 その両脇にある桜と橘のことです。桜の様に美しい心と、橘の様な瑞々しい健康な体を持った子に育つように、桜と橘が「我が学舎の旗しるし(校章)」となりました。
花と緑溢れる美しい故郷の名をいただいた大山小学校で高い理想を持ち、先生の教えの下に勉学の道を一筋に励み、すくすくと成長してほしい、との願いが、校歌に込められています
作詞 千家尊福
作曲 田村虎蔵
一 みはしの桜 たちばなは
我が学舎の 旗しるし
心は桜の 美わしく
身はたちばなの 香にならえ
二 里の名におう 大山の
高きにのぼる 道しるべ
文もたがえず 一筋に
教えのままに いそしまん